吉香で活躍し30年。主にNHKの放送通訳を中心に報道の現場の第一線で活躍する英語通訳者の近藤尚子(こんどう なおこ)さんにそのお話を伺いました。
NHKの放送通訳に携わるようになったきっかけを教えてください
映像翻訳の仕事を始めて間もなく、BS放送の本放送開始の時に通訳募集がありました。そこで「オーディションを受けてみませんか」と吉香から連絡を頂いたのがきっかけです。オーディションでは納得のいく力をだせず、渋谷から帰る途中悔しくてたまらなかったのを覚えています。しかししばらくして吉香から「ギリギリで合格です」と連絡をもらいました。嬉しいと同時に「ギリギリで」の一言にもう失敗は出来ないと気を引き締めました。
放送通訳の現場に入る際にいつも心掛けていることはありますか
“一人でも多くの人に国際情勢に関心をもってもらい、自分のことのように捉えてほしい”という思いを抱きながら毎回放送の現場に入っています。難民問題や戦争などがこの世界で起きていても、日本人は様々な背景から自分のことのように考えるのが難しい一面があります。そのため日本は国際社会から国際的な取り組みに人的に関わらず、経済的支援しかしないと言われています。今、国際社会が抱えている問題を解決するにはもっと人的に関わらないといけないのではないかと思っています。ほんの小さなことでもきっかけでもいいので世界で起きることを他人事だと思わず積極的に理解する人が増えたらうれしいと思っています。これがこの仕事を続けていく動機にもなっています。
通訳者を目指したのはいつ頃、どういったきっかけでしょうか
きっかけは大学卒業時に就職に失敗したことです。これからは何か手に職をつけるべきだと考え、通訳学校に通い始めました。英語は専門外ではありましたが、学生の時から好きで興味もあったので、勉強は取り組みやすかったと思います(笑)
しかし私は海外経験が全くなく、英会話もほとんどできないようなレベルだったので、通訳学校に入ったものの最初は英語力強化のクラスからのスタートでした。週に3回仕事が終わった後に通い、帰宅してまた勉強といった生活をしていました。そうしている内に気づけば英語の面白さにどんどん引き込まれてしまい、しばらくしてフリーランスとして独立しました。
吉香を知ったきっかけを教えてください
大学卒業後に3つの通訳学校に通いましたが、その3つ目に通った学校で吉香の元コーディネーターの方と同じクラスになり、授業帰りのエレベーターの中で声をかけてもらったことがきっかけです。その後登録することになり現在に至ります。
これまで業務で一番やりがいを感じたもの、印象的だったものを教えてください
放送通訳はプロとして報酬を頂いての仕事なので、クライアントから見れば100%できるのが当たり前です。そのため失敗しないのは当然のことであり、少しでも良い表現ができるよう業務にあたることこそが毎回のやりがいだと思っています。
これまで一番大変で印象深かったのは、やはり2001年の同時多発テロでしょう。発生当時はNHKのレギュラーを担当していた日でした。当然、担当番組の収録も放送自体も中止となり、通訳席のモニターにニューヨークの定点カメラの映像が映し出され、まだ現地メディアも報道していない中で、たまたま目にした航空機が貿易センタービルに衝突する瞬間は衝撃的でした。その時点ではまさかテロだとは思わず単なる事故だと思い、なぜこんなところに飛行機が突っ込むのか理解できずにいたのを覚えています。その日はシフトの終了まで局にいましたが、すぐに吉香から電話が入り、緊急体制の業務で深夜に他局に向かいました。他局での仕事が終わったのが正午前で、そのまままた別の局に向かったのでその日の仕事がいつ終わったのかはもはや覚えていません。翌日は通訳学校の指導があり寝不足で顔色が悪いまま授業を行いましたが、疲労で弱い声しかでず生徒さんに心配をかけてしまいました。
近藤さんは通訳者・映像翻訳者の育成も行っていらっしゃいますが、指導する立場から昨今の映像翻訳の分野を目指す方の傾向など感じていることがあればお聞かせください
全体的に実力は上がってきていると思います。同時に力のある人とそうではない人の差も広がってきていると感じています。情報収集が容易になってきている分、常に情報に触れている人と情報に疎い人とで差がどんどん広がっていると思います。以前は情報が得られる人と得られない人との格差があったものが今は情報を得ようとする人と得ようとしない人の格差へと変わってきているような印象があります。
放送通訳は未経験者が現場で経験を積むことが難しい分野です 今後放送通訳者を目指す方へアドバイスをお願いします
視聴者側が完成度の高い通訳を求めることを考えると、放送局が完全な新人の受け入れに消極的なのは納得できます。しかし、今は昔と違ってネットリサーチが現場で行いやすいので、知識に関しては一般常識レベルでも最初は大丈夫だと思います。ただ訳出スピードは従来通り求められますし声のトーンや喋り方、あるいは表現の方法などのデリバリーが優れていないと難しい分野です。デリバリー能力は声帯や口の筋肉をどう使っていくかというスキルなので、ニュース番組のアナウンサーの話しのシャドウイングや自分の声を録音して客観的に聞いてみるといった訓練もとても効果的なのでお勧めします。
またこれは通訳業務全般、特にテレビ局の仕事で言えることですが、チームを組んで作業に臨むので協調性は重視されます。現在一緒に仕事をしているNHKのレギュラーメンバーは全員本当に仲が良く、みんなで番組を盛り上げていく機運があります。放送通訳はただ訳す、リサーチするというだけではなく、共に番組を作り上げていくという考えで取り組み、現場での関係性やコミュニケーションを大切にしていく必要があると思います。
このコロナ禍で通訳・翻訳業界も急速に変わってきています 今後の業界の姿や必要とされていく人材など、お考えをお聞かせください
まずはデジタルスキルは必須になってくると思います。コロナの影響により急速にデジタル化が進み今やオンラインが主軸になっています。またここ数年でAIの技術も飛躍的に伸びたという印象があります。しかし、通訳の場合はまだまだAIにできない部分が多いと感じます。通訳は伝え方ひとつで意味が変わります。通訳を聞いた人、映像翻訳を見た人の心に届くような表現ができるかどうかが求められる力になってくると思います。そういった描写の通訳や翻訳ができるようになるには英語力だけではなく、高い母語の能力が不可欠となります。AIの訳の正確さが人間に近づいてきたとしても、他者に気持ちをとどけるというのは人間ならではの技術です。そこはAIにはできないことなので言葉の表現の方法や声のトーン、喋り方などのデリバリーの部分で差別化をし、秀でていくことが重要です。
最後になりますが吉香の魅力、また吉香に今後期待することはありますか
30年以上前に初めて事務所に伺った時と今とでは会社の規模も環境も大きく変わりましたが、いつも家族のように温かく迎えて下さるあり方はずっと変わっていません。こちらに無理がないようにかつ、機会があれば必ず声を掛けて下さる柔軟さも我々にとっては非常にありがたく、これからもご縁が続くことを願っています。